ベートーヴェンは、生涯を独身で過ごしました。
亡くなったのは56歳。すでにその生活に女性の影はありませんでした。彼の身の回りを世話していた若い側近たちが、引き出しからいきなり現れたその手紙にビックリしたのも当然だったでしょう。
この手紙の宛先の女性は誰だったのか?
いちどは愛し合いつつも、結婚に至らなかったのはなぜなのか?
彼女の存在は、ベートーヴェンの創作活動にも影響を与えたのだろうか?
死後、ベートーヴェンの人生や作品がひとびとの間で伝説化していくにつれ、ラブレターの宛先の謎は音楽界を巻き込む大論争へと発展していきます。
識者・研究者らが「シンデレラ候補」として挙げた女性は、なんと総勢10人近く(!)
ベートーヴェンの側近のひとりとして「手紙」の発見現場のそばにいたアントン・フェリックス・シンドラーが「ジュリエッタ・グイチャルディ」説を推したかと思いきや……
ジュリエッタ・グイチャルディ
ベートーヴェンの弟子。『月光ソナタ』を献呈された。
ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 Op.27-2「月光」
シンドラーの対抗馬として現れた伝記作家アレクサンダー・ウィーロック・セイヤーは、ジュリエッタのいとこである「テレーゼ・ブルンスヴィック」説を提唱。19世紀から20世紀初頭に絶大な支持を集めました。
テレーゼ・ブルンスヴィック
ベートーヴェンの弟子。『テレーゼ・ソナタ』を献呈された
ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 Op.78「テレーゼ」
かと思うとあるときはベッティーナ・ブレンターノが捜査線上に浮上したり……と、ガラスの靴はあちらこちらへとたらい回しにされ続けます。
ベッティーナ・ブレンターノ
ベートーヴェンの友人であり文学者。熱狂的なゲーテ・ファンとしても知られる
この論争がここまで盛り上がってしまったのは、ひとえに手紙があまりにミステリアスだったから。
そして、現れる候補の女性たちが、あたかも『源氏物語』の女君たちのように、あるいは恋愛ゲームのキャラクターのように、個性に富んだ魅惑的なヒロインたちだったからに他なりません。
たとえば先に挙げたテレーゼ・ブルンスヴィックは、ハンガリーの幼児教育や女性の教育向上に多大な貢献をした偉大なる社会運動家でした。またベートーヴェンと同じく、独身を貫きました。
老境のテレーゼ・ブルンスヴィック
これほど素晴らしい女性が、もしベートーヴェンの「不滅の恋人」だったとしたら……。
文豪ロマン・ローランをはじめとする識者たちが、彼女を熱烈に支持し、シンデレラの称号を与えたくなったのも無理はないでしょう。
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