舞台『Op.110 べートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』鑑賞ガイド
『Op.110』の世界を深く知りたい方に。舞台に登場する「ひと」「もの」「音楽」を、歴史的背景から解説するガイドです。
文:かげはら史帆 ライター
東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)。ほか音楽雑誌、文芸誌、ウェブメディアにエッセイ、書評などを寄稿。
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第1回 “「不滅の恋人」への手紙”とは?
大論争を呼んだ謎のラブレター
名画「モナ・リザ」のモデル、浮世絵師・写楽の正体、モーツァルトの死因……
芸術やカルチャーの歴史には、大論争に発展した有名な謎がいくつかあります。
ベートーヴェンの“「不滅の恋人」への手紙”も、そうした謎のひとつに数えられるでしょう。
1827年3月。
音楽界の巨匠、ルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェンが亡くなって間もなく。
彼が愛用していた書き物机の引き出しのなかから、その手紙は発見されたといわれています。
発見された「手紙」の1枚目
宛先は不明。
書かれた年は不明。
どこで書かれたかも不明。
そもそも、実際に出されたかどうかも不明。
「これほど愛しているのに」「どうか冷静でいてください」などの言葉が踊り、切迫した状況をうかがわせながらも、いまいちつかめない背景。
ベートーヴェン特有の乱れた字で書きこまれた「わが不滅の恋人」という言葉。
それは、愛する女性に宛てられたということ以外は、何もわからない謎の手紙でした。
本命は誰?『源氏物語』さながらの女性群像
ベートーヴェンは、生涯を独身で過ごしました。
亡くなったのは56歳。すでにその生活に女性の影はありませんでした。彼の身の回りを世話していた若い側近たちが、引き出しからいきなり現れたその手紙にビックリしたのも当然だったでしょう。
この手紙の宛先の女性は誰だったのか?
いちどは愛し合いつつも、結婚に至らなかったのはなぜなのか?
彼女の存在は、ベートーヴェンの創作活動にも影響を与えたのだろうか?
死後、ベートーヴェンの人生や作品がひとびとの間で伝説化していくにつれ、ラブレターの宛先の謎は音楽界を巻き込む大論争へと発展していきます。
識者・研究者らが「シンデレラ候補」として挙げた女性は、なんと総勢10人近く(!)
ベートーヴェンの側近のひとりとして「手紙」の発見現場のそばにいたアントン・フェリックス・シンドラーが「ジュリエッタ・グイチャルディ」説を推したかと思いきや……
ジュリエッタ・グイチャルディ
ベートーヴェンの弟子。『月光ソナタ』を献呈された。
ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 Op.27-2「月光」
シンドラーの対抗馬として現れた伝記作家アレクサンダー・ウィーロック・セイヤーは、ジュリエッタのいとこである「テレーゼ・ブルンスヴィック」説を提唱。19世紀から20世紀初頭に絶大な支持を集めました。
テレーゼ・ブルンスヴィック
ベートーヴェンの弟子。『テレーゼ・ソナタ』を献呈された
ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 Op.78「テレーゼ」
かと思うとあるときはベッティーナ・ブレンターノが捜査線上に浮上したり……と、ガラスの靴はあちらこちらへとたらい回しにされ続けます。
ベッティーナ・ブレンターノ
ベートーヴェンの友人であり文学者。熱狂的なゲーテ・ファンとしても知られる
この論争がここまで盛り上がってしまったのは、ひとえに手紙があまりにミステリアスだったから。
そして、現れる候補の女性たちが、あたかも『源氏物語』の女君たちのように、あるいは恋愛ゲームのキャラクターのように、個性に富んだ魅惑的なヒロインたちだったからに他なりません。
たとえば先に挙げたテレーゼ・ブルンスヴィックは、ハンガリーの幼児教育や女性の教育向上に多大な貢献をした偉大なる社会運動家でした。またベートーヴェンと同じく、独身を貫きました。
老境のテレーゼ・ブルンスヴィック
これほど素晴らしい女性が、もしベートーヴェンの「不滅の恋人」だったとしたら……。
文豪ロマン・ローランをはじめとする識者たちが、彼女を熱烈に支持し、シンデレラの称号を与えたくなったのも無理はないでしょう。
ついに2名に絞られた「シンデレラ候補」
しかし、実地調査などのより緻密な研究が進むなかで、手紙の成立年は「1812年」と特定。さらに書かれた場所もチェコの温泉地「テプリッツ」であると特定され、上に挙げた女性たちは候補から外れていきます。
21世紀に至って、候補の女性はほぼ2名に絞られました。それがこちらのふたりです。
ジョゼフィーネ・ブルンスヴィック
アントニー・ブレンターノ
本作『Op.110』でも、ベートーヴェンに深くかかわる女性として登場するふたりは、いったいどんな人物なのでしょうか。
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