舞台『Op.110 べートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』鑑賞ガイド
『Op.110』の世界を深く知りたい方に。舞台に登場する「ひと」「もの」「音楽」を、歴史的背景から解説するガイドです。
文:かげはら史帆 ライター
東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)。ほか音楽雑誌、文芸誌、ウェブメディアにエッセイ、書評などを寄稿。
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第6回 ベートーヴェン時代のファッション
ベートーヴェンが生きたファッション激変時代
前回はベートーヴェンのヘアスタイルに触れましたが、今回はファッションのお話です。
ベートーヴェンが生きた時代……つまり200年以上も前のヨーロッパのファッションというと、どういうイメージが思い浮かびますか?
たぶん、こんな感じ……?
女性は、ひだ飾りやリボンをたっぷりあしらい、胸元の豊かさとウエストの細さを強調した絹織物のドレス。
男性は、華やかな刺繍のほどこされた長いコートとキュロット、それにぴったりとした白い絹靴下。
ベートーヴェンが生まれた頃、つまり1770年代のフランス宮廷の盛装ファッションは、実際に「こんな感じ」でした。
ところが。
ベートーヴェンが音楽家として成功への階段をのぼっていた30歳ごろ。時代のトレンドは驚くべき変化を遂げていました。
スケートする男女(1800年)
激変も激変ですね!!!
30年経てばトレンドも変わる。それは当然ではありますが、ひとびとの美意識が根底からくつがえった感があります。
いったい何が、ファッションをここまで大きく変えたのでしょうか。
女性のファッション ~シンプルさがおしゃれの証!~
その変化の要因は、ひとことでいえば、数百年にわたって続いたヨーロッパの宮廷文化の終焉でした。
1789年に起きたフランス革命は、思想から音楽家の生計手段に至るまで、世のなかのあらゆる価値観や生き方をくつがえしました。ファッションも同じで、いかにも貴族めいた窮屈でぎょうぎょうしいドレスは「ダサい」とみなされ、より堅苦しさがなくシンプルな服装が好まれるようになります。
しかし女性のファッションの変化は、フランス革命前にすでにはじまっていました。
フランス革命ならぬファッション革命を起こしたのは、フランス王妃マリー・アントワネット。
宮廷の重々しい空気に疲れた彼女は、私邸のプチ・トリアノン宮殿で、お気に入りの女友達といっしょに、白くて軽やかなモスリン(木綿)のドレスをまとって過ごすようになりました。
モスリンのシュミーズ・ドレスを着たマリー・アントワネット(1783年)
着ける下着も最低限にとどめ、素肌にふわっと着こなすこのシュミーズ・ドレス。当時の人びとにはふしだらに見えたようで、「けしからん!」という顰蹙の声も多数あがりました。
アントワネットが愛した軽やかなドレスが普及したのは、皮肉にも、彼女が断頭台で首を斬られてからでした。
華美な宮廷文化への批判意識から、古代ギリシアやローマへのあこがれが高まった1790年代から19世紀初頭。シンプルなシュミーズ・ドレスは爆発的に広まっていきます。
ダンスする女性(1809年)
現代でもじゅうぶんに通用しそうなデザインですね。
ヘアスタイルも「ギリシア風」「ローマ風」。古代の偉人のように髪をカールさせたり、シンプルなヘッドドレスや布をあしらうのが流行しました。
ベートーヴェンと噂になった女性たちも、たしかにみんな流行のヘアスタイルとファッションです!
男性のファッション ~目指せイマドキのダンディ!~
男性のファッションも、この時代に大きく変わりました。
正装としてのキュロットや白靴下はしばらく残りますが、日常的な衣服は、より実用性と「ダンディズム」を追い求めたデザインに変わっていきます。
当時の「ダンディズム」=男の色気 の定義とはなんでしょうか?
要素を2つ挙げるなら、「姿勢のいい背中」と「長い脚」だったそうです。
当時のファッションリーダー、ボー・ブランメルの肖像画(1805年)
この肖像画は、当時のダンディズムの典型像としてよく知られています。
コートがウエストの高い位置で切られており、脚の長さが強調されていますね。
少し重心が後ろ寄りで、胸を反ったような姿勢ですが、これはコートの背中側の面積が小さめに作られていたから。このコートを着ると、誰でも軍人のようなシャンとした姿勢になれたそうです。
とき、ナポレオン戦争まっただなかの時代。軍人風……といってもマッチョな路線ではなく、ギリシア彫刻の青年像のように、無駄がなくシュッとしたスタイルの男性がモテた、というわけでしょう。
クラヴァット(ネクタイ)も、「オリエンタル風」だの「舞踏会風」だの、さまざまな形や結び方が登場し、ダンディを目指す男たちは鏡の前で日々奮闘したとか。
ベートーヴェンも、若い頃は人並みにオシャレだったといわれていますので、「脚が長く見えるファッション」や「かっこいいタイの結び方」を研究した時期もあったかもしれません。
しかし、歳を取ると……
散歩するベートーヴェン(1820-25年ごろ)
ファッションもへったくれもない無頓着になってしまったようです。
さて、舞台『Op.110 べートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』の衣装は、ベートーヴェンが生きた時代のファッションをベースに作られているとのことです!
キャストの皆さんがどんな衣装で登場するか、ぜひ注目してみてください。
≫ 第7回「ベートーヴェン時代のピアノ」につづく
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