ベートーヴェンが生まれた1770年頃、彼が住むボンの街にはまだピアノがなかったといわれています。
フェレンツェの楽器製作家バルトロメオ・クリストフォリがピアノを発明したのは、さかのぼること70年以上前。しかし当時はチェンバロが大人気の時代です。「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(強弱のあるチェンバロ)」と名付けられたこの風変わりな発明品が人びとに受け入れられるまでには、かなり長い時間がかかりました。
クリストフォリのピアノ(1726年)
爪で弦をはじくチェンバロとは異なり、
ハンマーで弦を叩く仕組みが採用されている
ベートーヴェンがはじめてピアノに触れたのは、おそらく14歳ごろでした。
現代の標準的なピアノが7オクターブと3音(鍵盤が88個)であるのに対して、この時代のピアノはまだ5オクターブ(鍵盤が61個)。小ぶりで、重厚な鉄のフレームも使われておらず、こわれやすく繊細な楽器でした。それでも彼は、この楽器がもつ表現力や将来性に惹かれていきます。
モーツァルトの前でピアノを弾くベートーヴェン(後世の想像画)
1792年、21歳の年にウィーンに移住すると、ベートーヴェンはピアニストとして活動をはじめます。
当時の貴族の館では、ピアニスト同士を競わせるバトル(?)が大流行。ベートーヴェンは持ち前の力強いタッチや、音をぶつ切りにせずなめらかに弾くスキル、そしてイマジネーション豊かな即興(アドリブ)演奏を武器に、当時のライバルたちを次々と蹴散らして名をあげていきました。
愛用していたのはウィーン式ピアノを代表するメーカー、ヴァルター社のピアノ。初期の代表的なピアノ・ソナタである『悲愴』や『月光』などは、このピアノから生まれました。
『月光ソナタ』の初版譜(1802年)
「チェンバロとピアノのための」と書かれており、
まだ世間ではチェンバロの需要もあったことがうかがえる
ピアニストが有名になると、さまざまなピアノ・メーカーが支援を名乗り出ます。売れっ子のピアニストはメーカーの広告塔でもあるのです。「ウチのピアノに乗り換えてください!」とばかりに、ベートーヴェンにピアノをプレゼントするメーカーも現れました。イギリス式ピアノを代表するエラール社です。
1803年に贈られたエラール社製のピアノは、音域が5オクターブ半に広がり、またウィーン式とは異なるアクション(機構)でもって安定した力強い音を出すことができました。
創作意欲を刺激されたベートーヴェンは、『ワルトシュタイン』『熱情』などのパワフルなソナタを世に送り出しました。
エラールのピアノの前に立つ女性(1808年)
ベートーヴェンが新しいピアノからインスピレーションを得たのと同じく、ピアノ・メーカーもまたベートーヴェンからインスピレーションを得て新しいピアノを製作しました。
この当時まだ非常に珍しい女性ピアノ製作者であったナネッテ・シュトライヒャーは、ベートーヴェンから受けた意見や不満を、自身のピアノ製作に取り入れていきました。
ベートーヴェンとピアノは、ともに切磋琢磨し合いながら成長していったのです。
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