舞台『Op.110 べートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』鑑賞ガイド
『Op.110』の世界を深く知りたい方に。舞台に登場する「ひと」「もの」「音楽」を、歴史的背景から解説するガイドです。
文:かげはら史帆 ライター
東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)。ほか音楽雑誌、文芸誌、ウェブメディアにエッセイ、書評などを寄稿。
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第7回 ベートーヴェン時代のピアノ
ピアノはベートーヴェンの人生の相棒
芸達者な役者さんたちがたくさん登場する『Op.110 べートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』ですが、人物以外にも忘れてはいけないものがあります。
それは「ピアノ」。
舞台には1台のピアノが置かれ、ストーリーのあらゆる局面で重要な役割を果たします。あるときはピアノ・ソナタを奏で、あるときは歌の伴奏をつとめ、あるときは登場人物たちの心情を綴り……。ピアニスト・新垣隆さんがどんな風にさまざまなシーンの音楽を聴かせてくださるのか、楽しみでなりません。
ベートーヴェンにとって、ピアノは人生の相棒のような楽器でした。
若い頃にはヴィオラ奏者としても活動し、また交響曲やオペラの初演の折には自ら指揮もしたベートーヴェン。ですが、彼がもっとも演奏に自信を持ち、身近に感じていた楽器はピアノでした。
ピアノの前で作曲するベートーヴェン(後世の想像画)
「相棒」といっても、彼と人生をともにしたピアノは1台ではありません。
その姿かたちも、彼が音楽家として生きた半世紀の間に大きく変わっていきます。
ピアノというと、コンサートホールや学校の音楽室、あるいは家庭のリビングにでんと置かれた、黒光りした重々しい楽器──というイメージがあります。しかしピアノがこのような王様然とした姿になったのは、それほど昔ではありません。
ベートーヴェンの時代のピアノは、いうなれば、成長半ばの華奢な若者のような楽器でした。
ベートーヴェンとともに成長した楽器
ベートーヴェンが生まれた1770年頃、彼が住むボンの街にはまだピアノがなかったといわれています。
フェレンツェの楽器製作家バルトロメオ・クリストフォリがピアノを発明したのは、さかのぼること70年以上前。しかし当時はチェンバロが大人気の時代です。「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(強弱のあるチェンバロ)」と名付けられたこの風変わりな発明品が人びとに受け入れられるまでには、かなり長い時間がかかりました。
クリストフォリのピアノ(1726年)
爪で弦をはじくチェンバロとは異なり、
ハンマーで弦を叩く仕組みが採用されている
ベートーヴェンがはじめてピアノに触れたのは、おそらく14歳ごろでした。
現代の標準的なピアノが7オクターブと3音(鍵盤が88個)であるのに対して、この時代のピアノはまだ5オクターブ(鍵盤が61個)。小ぶりで、重厚な鉄のフレームも使われておらず、こわれやすく繊細な楽器でした。それでも彼は、この楽器がもつ表現力や将来性に惹かれていきます。
モーツァルトの前でピアノを弾くベートーヴェン(後世の想像画)
1792年、21歳の年にウィーンに移住すると、ベートーヴェンはピアニストとして活動をはじめます。
当時の貴族の館では、ピアニスト同士を競わせるバトル(?)が大流行。ベートーヴェンは持ち前の力強いタッチや、音をぶつ切りにせずなめらかに弾くスキル、そしてイマジネーション豊かな即興(アドリブ)演奏を武器に、当時のライバルたちを次々と蹴散らして名をあげていきました。
愛用していたのはウィーン式ピアノを代表するメーカー、ヴァルター社のピアノ。初期の代表的なピアノ・ソナタである『悲愴』や『月光』などは、このピアノから生まれました。
『月光ソナタ』の初版譜(1802年)
「チェンバロとピアノのための」と書かれており、
まだ世間ではチェンバロの需要もあったことがうかがえる
ピアニストが有名になると、さまざまなピアノ・メーカーが支援を名乗り出ます。売れっ子のピアニストはメーカーの広告塔でもあるのです。「ウチのピアノに乗り換えてください!」とばかりに、ベートーヴェンにピアノをプレゼントするメーカーも現れました。イギリス式ピアノを代表するエラール社です。
1803年に贈られたエラール社製のピアノは、音域が5オクターブ半に広がり、またウィーン式とは異なるアクション(機構)でもって安定した力強い音を出すことができました。
創作意欲を刺激されたベートーヴェンは、『ワルトシュタイン』『熱情』などのパワフルなソナタを世に送り出しました。
エラールのピアノの前に立つ女性(1808年)
ベートーヴェンが新しいピアノからインスピレーションを得たのと同じく、ピアノ・メーカーもまたベートーヴェンからインスピレーションを得て新しいピアノを製作しました。
この当時まだ非常に珍しい女性ピアノ製作者であったナネッテ・シュトライヒャーは、ベートーヴェンから受けた意見や不満を、自身のピアノ製作に取り入れていきました。
ベートーヴェンとピアノは、ともに切磋琢磨し合いながら成長していったのです。
ベートーヴェンとともに成長した楽器
その後、聴覚がおとろえ、人前でピアノを弾くことがほとんどなくなったあとも、ベートーヴェンはピアノを手元に置き続けました。
亡くなったときにも、イギリス式とウィーン式両方のピアノが部屋にあったそうです。
ベートーヴェン晩年の仕事部屋(1827年)
現在では、19世紀中盤くらいまでのピアノを「フォルテピアノ」、現代的なスタイルが完成したあとのピアノを「モダンピアノ」と呼んで区別しています。
フォルテピアノは、修復やレプリカの製作によってよみがえり、現在でもさかんに演奏されています。こちらは、同じピアニスト・同じ曲によるフォルテピアノとモダンピアノの演奏です。
フォルテピアノ(レプリカ)による演奏
モダンピアノによる演奏
音色の違いがおわかりいただけるでしょうか。
先ほど「成長」と書きましたが、フォルテピアノは決して発展途上の劣った楽器ではありません。むしろモダンピアノにはない独自の魅力をたたえた楽器というべきでしょう。
さて、舞台『Op.110 べートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』では、ピカピカの新型のモダンピアノではなく、フォルテピアノを思わせる雰囲気の楽器が使われているとの情報です。はたしてどんなピアノなのでしょうか?
観劇の際は、ぜひ忘れずにチェックしてみてくださいね。
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