舞台『Op.110 べートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』鑑賞ガイド
『Op.110』の世界を深く知りたい方に。舞台に登場する「ひと」「もの」「音楽」を、歴史的背景から解説するガイドです。
文:かげはら史帆 ライター
東京郊外生まれ。著書『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)、『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)。ほか音楽雑誌、文芸誌、ウェブメディアにエッセイ、書評などを寄稿。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8
第3回 青年フェルディナントって誰?
ベートーヴェンの愛弟子、フェルディナント
舞台『Op.110 べートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』には、ストーリーテラーの役目を担う青年が登場します。
その名は、フェルディナント・リース。
決して世に広く名前が知られているわけではありませんが、ベートーヴェンの伝記上ではよくお目にかかる人物です。ベートーヴェンのそばで一時期チョロチョロしている少年弟子……というのが、クラシック音楽ファンが一般に抱いているイメージでしょうか。実際、彼は20歳になるまでの約4年間、ベートーヴェンのもとで音楽修業に励んでいました。
いったいどんな生まれ育ちだったのか?人柄は?音楽家としてのキャリアは? あまり語られることのない彼の人物像に迫ってみましょう。
ベートーヴェンとは「同じ社宅育ち」のような間柄!?
若き日のフェルディナント・リース
フェルディナント・リースは、1784年、現在のドイツ西部の町ボンに生まれました。
ボンといえば、ベートーヴェンの出身地でもあります。しかもベートーヴェン家とリース家は、ともに宮殿や教会で働く宮廷音楽家一族の生まれでした。おじいちゃんも、お父さんも、同じ職場の同僚。音楽家たちは町なかの同じ集落に固まって暮らしており、両家は一時期、1つ違いの番地に居を構えていたこともありました。
江戸時代でいえば同じ職人長屋、現代でいえば同じ社宅育ち、といったところでしょうか。
フェルディナントの父はとても優秀な宮廷ヴァイオリニストで、ベートーヴェンにヴァイオリンを教えた時期もありました。
ベートーヴェン家は、父が精神的に荒れて仕事をクビになったり、母が結核で早世したり、小さな弟が2人いたり……と支援が必要な状況にあったので、フェルディナントの父はいつもベートーヴェン少年を気にかけてやっていたそうです。
さて、フェルディナントの物心がつきはじめた頃、歴史の大転換点ともいえる出来事が起きました。
フランス革命です。
バスティーユ牢獄の襲撃(1789年)
それはヨーロッパを長らく支配してきた宮廷の終焉であるとともに、宮廷文化の終焉でもあり、そして革命の成功に手応えを得たフランス革命軍の暴走のはじまりでもありました。フランスとの国境から遠からぬ場所にあるボンは革命軍に占領され、宮廷も息の根を止められてしまいます。
フェルディナントの父は失業し、フェルディナント自身も宮廷音楽家としての将来を失ってしまいました。おまけに同僚たちは仕事を求めて次々とボンを去り、フェルディナントにピアノを教えてくれる先生もいなくなってしまいます。
せっかくピアノの才能がある息子なのに、いったいどうしたものか。悩んだ末に、父は妙案を思いつきます。
そうだ!ウィーンでピアニストとしてブレイク中のベートーヴェンのもとに、息子を修業に行かせようじゃないか!
かくして1801年、フェルディナントはウィーンに旅立ち、ベートーヴェンに弟子入りを志願するに至ります。ベートーヴェンは30歳、フェルディナントはまもなく17歳になろうとしていました。
とにかくベートーヴェン先生と、先生の音楽が大好き!
当時のベートーヴェンは、ピアニストのみならず、すでに作曲家としても名をあげていました。女性関係でいえば、ちょうどジュリエッタに夢中になって、彼女に捧げる『月光ソナタ』を作曲した頃でもあります。
ベートーヴェンはひとに教えるのが好きではなかったといわれていますが、フェルディナントに対しては、彼の父から受けた恩義や同郷人としての責任を感じていたのでしょう。彼が一人前の音楽家として巣立てるようにさまざまな便宜を図ってやりました。
教えたのはピアノだけではありません。演奏会のリハーサル、パトロンのサロン、出版人との交渉など、ベートーヴェンは彼に自分の仕事現場のすべてを見せて「宮廷に頼らない生き方」のノウハウを叩き込みました。修業と称して雑用をやらせていた……という側面もありますが、フェルディナントの方も「ベートーヴェンの愛弟子」と名乗って顔と名前を売ったり、師匠から演奏の仕事を分けてもらったりしたので、利害は一致していた(?)といえるでしょう。
音楽の都・ウィーン中心部のにぎわい(18世紀後半)
しかし14歳というのは、実はけっこう微妙な年の差です。老先生と少年弟子ならばいざ知らず、これくらいの差だとじゅうぶんに同業のライバルにもなりえます。しかも師匠は天才とさえ称される気鋭の音楽家。弟子の側がコンプレックスを抱いても不思議ではありません。
ところが、これがフェルディナント・リースという人の不思議なところなのですが、彼の言動にはそうしたネガティブな要素がほとんど見当たりません。とにかく「先生、大好き!」「先生の音楽、大好き!」「先生の弟子と名乗れてうれしい!」。一生涯、そういう人でした。
もちろん彼は彼で、師匠が持っていない華やかなピアノの技術や、独特な転調のセンスなどを発揮して、プロの音楽家としてのオリジナリティを追求していくわけですが、それでも「まず前提として先生の曲ありき」な姿勢はずっと残り続けました。
その証拠に、彼はよく師匠の作品のメロディや効果的な音使いなどを借用しています。
たとえば若い頃の作品でいうと、この2つの作品なんかは本当に「そっくり」!
ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 Op.24「春」(ベートーヴェン)
ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 Op.8-1(リース)
それだけベートーヴェンを尊敬していたともいえますし、師匠と自分とは「同じ流派」という意識をかなり強く持っていたのでしょう。
さて、そんなフェルディナントですが、ベートーヴェンのもとでの師弟生活は思いがけない形で断ち切られてしまいます……。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8